いま、先が見えない・・・・・そんな風に言われたらどうしたらよいでしょうか?
先日人材育成のセミナーの後に聞かれた質問です。
なんだか、とてもよく聞かれることですし、私の身の回りでもよく聞くフレーズでもあります。
今どきの若い人は特にこのキーワードを使います。
今どきの若い人に限らず?結果の出せない人が良く使うキーワードでもあります。
究極にはなんて答えるか?
それは、先が見えないというけれど、先が見える人なんているのあろうか?
ドラえもんにタイムマシンを借りて、見に行く以外は見えないのが未来というものです。
これは誰も反論できない、正しい答えでありますし、大前提でもあるはずです。
だからこそ、未来のイメージは自分自身で勝手に作るものです。
イメージをとばし、それを本当の事のように思い込む。脳は現実なのか?イメージなのか?を
区別できない特性があります。だから目の前に女性がいると思い込んで興奮したりもしますよね。
と、そんなことを言っても理屈では分かっていてもどうにもならない。
先が見えないと言いつつも、悪いことが見えているから不安になるわけです。
だから、良いことが見えていれば不安ではなく、悪いことを見ようとしているから不安。だから
先が見えないのではなく、悪い先が見えているだけなのです。
辛い事や、苦しい事も、未来のゴールが明確であるからこそ頑張れるものです。
でも、そのゴールは、自分の見方によって変わるものです。
だからこそ、その未来のイメージをどのように導いてあげるか?も重要です。
プロとして美容師になるという事は、最低限一人前のスタイリストになって、
お客様から支持されてという所は小さなゴールでもあります。
そこにも至らない人たちが、先が見えないという。
練習もしたくない、つらい事にも耐えられない。今がつまらない。
先も見えないし・・・・と
先? 自分で見れば?・・・と。
正しい事を言っても、呆れても、いつまでも人は育ちません。
先をいくら見せてあげても、伝えてあげても、それは理屈にすぎないのかもしれません。
今どきの若者にとって、先が見えないというのは、今がただ辛いだけなのです。
そんな時、まずはどれだけその人に寄り添い、気持ちを汲んであげる対応が
出来る人がいるかどうか?
簡単に言えば、コミュニケーションを取ってあげられるかどうか?
伝わらなければ無価値・・・・。著書で書いたことの根底はとても深く、
コミュニケーションとは、なんでもないときにこそ重要なのであり、
日々至るときにも、その回数は無限です。
何かあった時のコミュニケーションはもう時すでに遅し・・・・
本当はそんな本質的なところからうまれたものが、意識カードなのですが。